『愛と呪い』第3巻刊行記念特別対談「渡辺ペコ✖️ふみふみこ」

 

最初は「済んだこと」として描こうと思っていた(ふみ)

 

渡辺 1巻から『愛と呪い』を読ませていただいてきて、この3巻のドライブ感に驚いたんです。これまで、ふみさんは現実と距離をとって世界を作り上げて行くタイプの漫画家さんだと思っていて、それは愛子ちゃんの少女時代が描かれた1巻の印象でもあったのですが、進むにつれて物語がふみさんご自身にも読者にも近いところにどんどん迫ってくるようでした。

3巻は「決着をつけて乗り越える」ストーリーで、大人になった愛子ちゃんの隣に行きたいなと思いながら読んでいました。

ふみ ありがとうございます。この作品は“半自伝”みたいな形で家族やこれまでのことを描きましたが、描きながら自分の感情がすごく変わっていくのに戸惑いました。

最初は「済んだこと」として描こうと思っていたんですよ。1990年代の少女だった愛子が2010年代の大人になって、親や宗教や自分を取り巻く社会のあり方が辛くて物語の世界に引きこもった彼女を、それぞれの時代背景とともに現在の彼女が見つめ直すというような。

 だから絵柄も、最初は淡いタッチから始まって、心の距離が近くなるとだんだんリアルな線にしていって……みたいなことは決めていたんですけど、大人になった愛子にとって問題はそれほど「済んで」なかったです(笑)。

渡辺 描き始めた当初はどんな構想だったんですか?

ふみ 最初は「こんな育て方すると、こんな人間になるんだぞ思い知れ!」みたいな恨み節(笑)。でも、描きながらだんだんとそれが消化されて、あれ? 自分はこれまで、本当は何を求めてきたんだろうというような。

 ラストシーンに近いところで、愛子が母親に対して「もうあなたを殺したいとは思わないよ」と心の中で語りかけるんですけど、たとえば描き始めた頃のイメージのままなら、あそこは「まだ殺したいと思っているよ」になったかもしれません。

渡辺 私はそこがすごくよかったです。人の心はどちらにも転び得るけど、踏ん張ってくれてよかったというか……お母さんに対する気持ちに決着をつけたんだな、と感じました。もちろん、この決着もまた愛子にとってひとつの過程にすぎないはずで、安易に「許し」とは呼べない複雑さがあるはずなのですが。

 3巻になって、お母さんが深いところから浮上してきたような印象がありますね。『愛と呪い』には父親による性暴力というショッキングなテーマがありますから、父親と愛子の問題だと、読んでいる方も最初は捉えると思うんですけど。

ふみ 2巻が発売された時に、押見修造さんと対談させていただいたんです。その時、押見さんが「僕は母親のこと大好きです!」って堂々と宣言してくださって(笑)。母親との関係が苦しいのに好きという謎を解き明かしたくて、ずっと描いているって。押見さんとお話させていただいたことがすごく貴重なきっかけになって、自分が本当に辛かったのは、父親のこと以上に「母親を好きと言えない」ことだったのかもしれないと考え始めました。

 生きづらさみたいなことをすぐに「毒親」「毒母」に結びつけるのって、ちょっと抵抗があるんですけど、「母と娘問題」ってやっぱり大きくないですか?

 

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「新しい家族を作らねば」という気持ちに駆られた時期も(渡辺)

 

渡辺 「母娘問題」考え続けて到着するのは、結局ここ? みたいなところありますよね(笑)。私の親たちは、愛子の家とはまた違った形ですがやはり機能不全家族だったので、それぞれに怒りを向けた時期はありました。父に対して「この感情は死ぬまで持ってて許さない」と思ったこともありますが、自分自身の家庭を持ったりお互いに加齢していく中で、そういう気持ちが割合と薄れて行った気がします。だからと言って好きになるということでもないんですけど、ただただ薄れるんだ、というのはありましたね。

そうして戻ってくるのは、やっぱり母親なのだなと。もう母は亡くなりましたが、自分なりの解決やあきらめを積み重ねてもいまだに夢にみますし、「まだずっといる」という感じです。

ふみ これ、伺ってよいのかわからないのですが……お子さんが生まれて、ご家族への思いが変わったりしたことはありますか?

渡辺 子どもが生まれた後に大きく変わったというよりは、それ以前から「別の共同体を作って、元の家族とのつながりや意味を薄くしたい」という気持ちがあったんですよ。夫とはパートナーとして籍も入れていましたが、もう少し堅固なものが欲しいというか(笑)。だから「制度としての結婚」はどうでもよかったんですけど、「子どももいなきゃ」みたいな気持ちがすごく湧いてきた時期があったんです、35歳くらいの頃に。

 こういう一般論はすごく嫌で、もっとリベラルでいたい、いなきゃと思うんですけど、自分としてはそういう欲求が強かったですね。実際には不妊治療が必要でしたし、親の介護も重なってストレスが強くて、「新しい家族を作らねばならない」という気持ちに押しつぶされそうになってしまってキツい時期でした。

ふみ わかります。3巻では愛子が結婚と離婚を経験しますけど、愛子も「新しい家族を作らねばならない」という焦りに急き立てられたんだと思います。結婚・離婚や東日本大震災のことも初めは描くつもりなかったんですけど、物語が進むにつれてやっぱり避けては通れなくなって、自分の中から「もう、性交をする『女』にも、それにより子どもを産む『母』にもならなくて良い」という離婚後の愛子の言葉が出てきた時には、ああ、自分はこんなことを感じていたのだなと驚きました。

渡辺 あそこ、本当にすごかったです。私の場合は幸いにも子どもができて、母が亡くなって落ち着くところに落ち着いて、それですごく楽になったんですけど、子どもができなくても時間をかけて納得していっただろうとも思います。家族の問題って決してきれいな形では終わらないですよね。それでもみんなが確実に歳をとっていき、距離感が変わることが大きくて。

ふみ 時間が一番の薬っていうのはありますかね。

渡辺 渦中にいる時は「絶対にそんなことない」って確信していたけれど(笑)。ただ、ネガティブな感情を無理にやりすごせばいいかというと、そうでもない気がします。無理をしても必ずいろんな形で出ますから。自分に何が起きたのか、自分が何を感じていたのか、そういうことに対峙する瞬間は必要だと思う。愛子がパートナーとの関係性や自分の本当の気持ちを捉えて行こうとするところとか、私にはものすごく心を掴まれるものがありました。

ふみ 実は3巻を描きあぐねていた時に、あるきっかけがあって母親と正面から向き合って話したんです。それで、父親はあんなですけどそれなりの経済的な力がありましたし、小さな子どもがいて自分自身には経済力もないという状況の中で、母が“よい結婚、よい家族、よい母親”という幻に縛られて苦しんだのは、自分と同じなんだろうなあと感じるところがあって。

でも、だからと言ってこれまでされてきたことや、私の怒りや憎しみを“なかったこと”にはできないし。渡辺さんが仰るとおり母親を「許す」というのとはちょっと違って、「理解しながら距離をとる」みたいなところに、ようやく辿り着いた感じです。もう『愛と呪い』で今のいろいろを出し切りました。出がらしです(笑)。

 

少女の成長を「恋愛」で描くことが、あまりにもメジャーすぎて(渡辺)

 

ふみ 私、渡辺さんが「ヤングユー」でデビューされたころ「すごい人が出てきた!」って興奮しながら読みました。「依存」とか「掠め取る/取られる」みたいなことを一生懸命に考えたら、「え? おかしくない? 結婚って」みたいに見えてくる部分を描いてくださっているところが、家族の問題に潰されかけていた、というか潰れていた自分にとって憧れだったんだと思う。今回、こういう機会をいただいて『ラウンダバウト』を読み返したりしたんですけど、やっぱりいいなと。子どもたちの話だけど、どこかみんなが独立した感じがするんですよ。女性も男性も独立しようとした結果、変なことになっちゃう、みたいな(笑)。

渡辺 私はずっと少女漫画を読みながら育ったのに、途中で離脱してしまった時期があるんです。少女漫画って少女の成長過程が描かれるものが多いわけですが、高校生くらいの時に「おや? なんだか自分の感覚と違うぞ」ということで。

少女漫画を読んでいた頃は、漫画の中の「家族とはこういうもの」とか「年頃になったら男女はこういうふうに付き合うもの」というのを漠然と信じていた気がするんですよ。そんなに素直な子でもなかっただろうに、他にあまりにもサンプルがなさすぎて。

ふみ サンプルがない?

渡辺 少女の成長を描くバックグラウンドとして、恋愛があまりにもメジャーすぎて。だから「なんでこんなに恋愛漫画ばかり?」とか「恋愛を通してしか自分というものは見つからないのか?」とか感じ始めて。もちろん、当時はそんなにはっきり意識できたわけではないですけど、女の子ひとりひとりは魅力的でも、男の子が来ると「女の子の役割」を演じ始めてしまうのがどうも残念というか。

ふみ ああ……私はそのファンタジーに縋ってきた部分もありますね。『愛と呪い』の愛子はロマンチックな恋愛というファンタジーを大切に大切にして、本当のどん底ではそれに助けてもらう部分もありました。ただ、今でも少女漫画は大好きですけど、じゃあ恋愛のキラメキをどう思うよと聞かれたら「けっ!」と答えたい気持ちも確かにある(笑)。

『1122』のいちこちゃんは、キラメキを探しているわけではないんですか?

渡辺 キラメキとは違うかもしれませんね。

もちろん恋愛とか家族とかにまつわる個人のファンタジーを否定したいわけではないんですよ。ただ、恋する二人の世界を私の目を通して描くというのがちょっと苦手で。24、5歳でまた漫画読者に戻り、その数年後にデビューした頃には、自分が「人間と人間」以上に「社会と人間」の関係性に興味があることがなんとなくわかってきて、たとえば恋愛も社会的な産物だと捉え始めたように思います。制度とか、なぜそれがあるのかとか、そこに違和感を持ち始めたのはなぜなのかとか、それを考え始めると個の物語よりは社会の方に描くものが繋がって行くことが多くて。

ふみ 『1122』でいちこが男性を買うというところ、いろいろな議論があるのは承知していますが、私はいちこちゃんが買ってくれてよかったと感じました。「男性が女性を侵す」ことと「女性が男性を侵す」ことを較べれば、どうしたって女性から男性にアクセスする方が難しいですよね。その「いま社会にある非対称」を、「他人の性を買うなんてことに誰が責任を持てるのか」という問題からも逃げずに、『1122』で描いてくださったのが嬉しいです。私が「男の娘」みたいな登場人物を描くことが多いのは、自己分析すればやっぱり「性差をなくしたい」というところに根ざしていて……。

渡辺さん、漫画に戻ってきたきっかけみたいなものはありますか?

渡辺 大学を卒業してから古本屋さんで働いたりしてたんですけど、そこで青年誌系を読むようになりました。福本伸行さんの『カイジ』とか、古谷実さんの『僕といっしょ』や『ヒミズ』とか……読んでびっくりしたのを覚えています。あとは「FEEL YOUNG」で魚喃キリコさんや南Q太さんにも出会ってびっくりして。絵も文法も自分にとって衝撃で。

ふみ こんなことしていいんだ漫画って! という体験は私にもあります。少女漫画と、あと弟がいるので少年誌をずっと読んできたわけですけど、それだとどうしても“戦うか、恋するか”だけになっちゃうじゃないですか、よい悪いは別にして。だから『寄生獣』(岩明均)を読んでびっくりしました。

 私が高校生の90年代終わりから2000年あたりって、時代的に漫画がサブカルっぽくなりますよね。私にとっての“サブカル”って、世の中の一般的な意味よりだいぶ広いのかもしれなくて、そこには渡辺さんの作品も入るんですけど、ここで「恋愛しなくてもいいんだよ」って初めてヒントをもらったというか。「COMIC CUE」とか「コミックH」とか、まだ漫画業界に余裕があって、すごくいろいろな作品がありましたよね。

渡辺 ド派手じゃないけど豊かというか。私も「コミックH」がとても好きで、衿沢世衣子さんや真鍋昌平さんの作品を楽しみにしていました。

 

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人にはどこかで軌道修正させてくれる力が必要なんじゃないか(ふみ)

 

渡辺 ところで私、『愛と呪い』の3巻目を読んでドキッとしたことがあるんですけど。

ふみ なんですか!

渡辺 人間関係であり社会制度でもある「家族」は私にとってどうしても気になる存在で、ずっと頭のどこかで考え続けている対象なんです。それで、『1122』を連載しながら「いずれ描こう」と思っていたことを、ふみさんがもうはっきり描かれていたんです! (笑)。愛子が日記の中で、自分自身がパートナーに求めていたものは何だったのかを告白するところです。「だから私の『まともな親』になって、私を産んで育てて欲しかった。それがかなわないと泣き叫んで暴れてた」というあたり。

ふみ 確かにこの最終巻に来るまで、描きながらずーっとぐちゃぐちゃ考えてきた果てに出てきた言葉ですけど、私は先日、売野機子さんの『ルポルタージュ‐追悼記事‐』の最終巻を読んだ時にドキッとした(笑)。

売野さんは娘を大量殺人犯に殺された母親に、「もしも時計が戻せるのなら、佐藤被告が子供だった時に戻したい。それで私が育て直すの」と語らせるんです。売野さんは親の方から、私はいわば殺人犯の方から、同じところに手を伸ばしたのかな、と。あれを読んだ時、上手く言えませんけど、「ああ、ここはたどり着くべきところなんだ」って感じました。

1巻で神戸連続児童殺傷事件の「酒鬼薔薇聖斗」に憧れる愛子を描いた後、どうやってあの“世界”と“自分”が一対一で憎悪をやりとりしちゃうような中二病的世界から彼女を引きずり出そうかと苦労しました。酒鬼薔薇の世界観は絶対にダメなものだと直感しながら、一方で酒鬼薔薇と同じく私と同年齢の、秋葉原通り魔事件の加藤智大は完全に否定しきれない自分がいたからなんです。これ、微妙な問題だからインタビューとかで語るなって、ずっと編集さんから止められていたんですけど。

もちろん加藤の犯罪は決して許されないし、「社会が悪い、弱者救済!」って言えば済む話でもないですよね。でも、中二病の子どもが他人の命を奪うグロテスクさと、何かに追い込まれた大人が他人の命を奪うグロテスクさは、同じく許されない罪でも性格が違うと思うんです。いまでもきちんとした答えは見つかりませんが、やっぱりどうにもならない場所に立った時に、人にはどこかで軌道修正させてくれる力が必要なんじゃないかと考えています。その力は、愛子が考えたような親なのか、あるいはお金なのか、もっと別のものなのか……。ああ、でも愛子は“親”的なものが手に入らなくても、リアルな加害者にはなりませんしね。よくわかりません(笑)。

渡辺 「自分は何によって救われ得るのか」がわからないままもがくリアリティーを捉えたのって、本当にすごいことだと思います。『愛と呪い』を最後まで読んだ時に、私が圧倒されたのは作品の面白さとうまさ以上に、その覚悟と勇気とエネルギーなのかもしれません。私も自分のたどり着いたところを描きたいなと改めて思いました。

ふみ いやほんと、みんなで「家族」というよくわからないものを、手垢でベタベタになるまで撫で回しましょう。

 

2019/10/15 新潮社クラブにて

構成/yomyom編集部

写真/広瀬達郎

 

【WATANABE PEKO】

北海道生まれ。2004年『透明少女』でデビュー。青年誌初連載となった『にこたま』は、同棲カップルの現実を描き大きな反響を呼んだ。最新作は互いの不倫を認める30代セックスレス夫婦を描いた『1122(いいふうふ)』(連載中)。その他の著書に『ラウンダバウト』など。

 

【FUMI FUMIKO】

1982年奈良県生まれ。2006年『ふんだりけったり』で「Kiss」ショートマンガ大賞・佳作を受賞しデビュー。既刊作に『女の穴』『ぼくらのへんたい』『qtμt』など。最新刊は「キレる17歳」世代の少女が家族への憎しみを乗り越える『愛と呪い』第3巻(完結)。

 

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『愛と呪い』第3巻  頑張って性交して「女」になり「母」になる--そんな結婚の噓を東日本大震災が暴き出す。世界と自分を憎むしかなかった少女のサバイバル物語、完結。 新潮社バンチコミックス/640円(税別)