特別対談 押見修造✖️ふみふみこ 「未来はない」と諦めた日から生きること

 性、家族、時代。

逃げられないものに傷つく苦しみから、

私たちは自分をどう救うのか。

 

『愛と呪い』『血の轍』最新巻を刊行した

二人が語る生き延び方――

 

「毒親」を捨てられない子どもたち

 

――お二人は奇遇にも、いま同時に「毒親」について描かれていますね。

押見 もう他人事とは思えないですよね。きっと僕もふみさんも、自分にとって「親とは何か」というのが分からないから、それを探るために描いているんじゃないかと思います。

ふみ そうですね。いつか描かなければいけないと思ってました。

押見 『愛と呪い』はすごく面白く、というか興味深く読みました。だけど自分もいろいろフラッシュバックして、具合が悪くなったりします(笑)。

ふみ ごめんなさい(笑)。

押見 いや、そういう作品が好きなんです。僕は吃音持ちなんですけれど、『血の轍』を描きはじめた時も日常生活に支障をきたすレベルまでひどくなってしまって。でも、それは辛いというより、どこか高揚している感じもあるんですよね。ふみさんの『愛と呪い』は『血の轍』と主人公の性別も設定もいろいろ違うけれど、すごく似ているところもあって、真に迫ってくるんだと思います。

ふみ 私が『血の轍』を読んで最初に思ったのが、押見さんは別に「毒親」を描きたかったわけじゃないのかなと。

押見 それはおっしゃる通りです。自分からは積極的に「毒親ですよ」とは言わないようにしていますね。母親の描き方も、分かりやすいモンスターペアレントみたいにはしたくなかった。

ふみ 私も「毒親モノ」みたいに言われるんですけど、ちょっと違和感があって。

押見 分かります。ふみさんの描く「呪い」の感覚って、僕にもすごくあるんです。だけど一方で、憎しみきれない感じというか、そんな風に思ってしまう自分への罪悪感もある。親を完全な悪者にできない苦しみというか。

ふみ 何が正しいことで何が悪いことなのか、子どものときは分からないじゃないですか。『愛と呪い』の愛子もある日、親の振るまいは決定的に良くないことなんだって分かるんだけど、それでもどこかで「愛情だよね」って思い込みたい部分はあるというか。

押見 そうですね。むしろ親の「愛情」を受け止められない自分が、度量の狭い人間なんじゃないかと思ってしまう。

ふみ その“生殺し”の状態ってキツいですよね。他の漫画家さんの作品で、父親に強姦されて家族を捨てるという話があったんですけど、「あ、捨てられるんだ」ってびっくりしたんです。押見さんの言う通り、子どもの一番のしんどさは、親を憎しみきれない、捨てることもできない、みたいなことじゃないかと思うので。

押見 『愛と呪い』は、そういう虐待される子どもの葛藤というか、親を殺したくなったり、愛情を欲しがったり、内面で戦っている感じが非常に生々しくて、はらわた削って描かれているんだなと思いました。

ふみ たぶん一生、正解が分からないと思うんですよ。揺らぎ続けるんじゃないかと思います。

押見 僕もまだ結論が出ていないので、ここからどうなるのか、最終的にどういう関係性に落ち着けるのか、よく分からないんですけど……って、あの、これもう主人公っていうより、僕らが主語で話してますけど、大丈夫ですか(笑)。

ふみ なんか被害者の会みたいに(笑)。

押見 ふみさんは今回「半自伝」ということで、完全なる自伝というわけではないですよね。

ふみ そうですそうです。押見さんも?

押見 はい。僕も自分の親の要素はいろいろ入っているんですけど。でも本質的な部分を探りたいと思って描いているので、そのためには本当じゃないことが混ざっていてもいいや、という感じですね。

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ふみ 本質的な部分というのは?

押見 親との関係性の正体を掴みたい、という感じです。ふみさんが指摘してくださったように、自分の親のことを「毒親」だと思っていたかというと、そうとも言い切れなくて。はっきりよく分からなかったんですよね、自分の親が何なのかっていうのが。

ふみ なるほど、分かります。私はなんか、『愛と呪い』の父親の顔が描けないんですよね。もうどんな顔の人なのか分からないというか。

押見 そこは僕も気になってました。父親の顔にフィルターかかってるみたいな感じというか。

ふみ もちろんキャラクターとしての顔は決めてあるんだけど、その時どういう表情をしてたかが、分からないから。わざとじゃなくて、なんか生理的に描けないぐらいの感じで。でも愛子の視点なので、それでいいのかなと思っています。押見さんの描く母親は、艶かしくて美しくさえあるのが印象的ですね。

押見 僕はむしろ、母親の顔にピントを極力合わせていこうとするので。主人公の静一は……いやもう、主語は自分でいいんですけど(笑)、僕は潜在的にマザコンで、「母親を女として見てるんじゃないか?」というのをずっと伏せてきたので。敢えてその罪の意識を見極めるために生々しく描いてるって感じですかね。

ふみ なんか修行僧みたいですね(笑)。

押見 はい、修行の一環として(笑)。静一の内面の変化に合わせて、これから母親の造形も変わっていく気がしますね。主人公の主観世界を疑似体験してもらいたいと思って描いているので。そういえば二巻のラストで、愛子のお母さんの顔がそれまでとちょっと違うなと思ったんです。なんか、可愛くなっているというか、端的に言うと。

ふみ ああ、そうですね。このあたりから、母親が人間味を帯びてくるんですよね。これまで父親の話だったのが、あのラストで転換して、母と娘の話になったんだと思います。

押見 なるほど。

ふみ それは今回、描きながら気づいたことですね。結局、父親のことじゃなくて、母親との問題だったんだと

押見 最初は父親が憎いというところから描き始めたんですか?

ふみ そうですね。ただ描いてみると、父親はもう何でそんなことするのか分からないサイコパスみたいな人になっていって。でも母親は、同性だし、自分がだんだん母親の年齢に近づいていくと、「なぜ」という気持ちが強くなるんですよね。

押見 それは大きな気づきですね。僕は描き始める前は母親が憎かったんですよ。だけど、だんだん、自分が母親のことが大好きなんだなって分かってきてしまったんですよね。

ふみ それも分かります。結局、好きだから苦しいんですよね。

 

女をやめたい、男をやめられない

 

ふみ 私は愛子のお父さんの顔だけじゃなくて、そもそも男の人を描くのが苦手なんです。

押見 そうですか? 愛子が想いを寄せる塩谷くんとか、ちゃんと描いてるじゃないですか。

ふみ だから、塩谷みたいな女の子っぽい男の子しか興味がなくて。セフレの田中とか告白してくる遠藤とか、別に顔とか興味ないからサングラスとかメガネかけたりしてごまかしてるんですけど。

押見 本当だ(笑)。ふみさんの性への光の当て方は独特で、すごく面白いですよね。

ふみ 自分がちょっと変だなと思うのは「性をなくしたい」みたいなことばっかり描いてしまうんです。男性性みたいなものがすごく怖いし、本当に苦手なんですよね。だから好きに描いていいと言われたら、『ぼくらのへんたい』みたいに女装男子とか描いちゃうんですよ。

押見 確かに性別とか性差みたいなものをなくしたい、という欲望をすごく感じるんですけど、同時にそこがふみさんにとって出口なのかな、という感じもしますね。

ふみ 出口?

押見 あの、つまり性が消えるということが苦しみからの出口というか。何か魂が救われる手段、希望のようなものとして描いているのかなって。

ふみ ああ、そうかもしれないですね。私は可愛い女の子だけがいるアニメとか、『らんま1/2』みたいな性差のない漫画の世界観に救われてきたんですよね。だから「アニメとか漫画ってそういう夢の世界だよね」っていう気持ちがあって、性のない状態に憧れて描いている。でも出来上がってみると、男もいるしセックスもするし、自分から出てくるものとのギャップに苦しんでいますね。あれ、おかしいな、みたいな(笑)。

押見 僕は逆に、作品の中で過剰に性的なものに助けを求めがちなんです。

ふみ 私、押見さんの作品のように、自分を助けようとしてくれる異性も描けないんですよ。男になんて救われないというのが根底にあるのかもしれない。普通の女でいるということをやめて、ようやくひとりの人間になれた、みたいな話を描こうとは思っているんですけど。

押見 いまそれ聞いて思ったんですけど、もしかしたら、僕はまだ男をやめられないのかもしれない(笑)。自分の中の男が、助けに来てくれる妄想の女の子を描かせているのかも

ふみ それ面白い(笑)。

押見 だけど結果的に、助けに来てくれる女の子はいるんだけど、自分がその人に応えられないという話ばっかり描いてますね。自分は助けてもらえる資格がない、というコンプレックスなんだと思います。ふみさんの作品に出てくる男は、確かに助けてはくれないけれど、田中が「お前は自分を特別な人間やと思いたいねん」って言うじゃないですか。あれは物語上すごく重要なセリフですよね。

 

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ふみ そうなんです。田中の言ったことって冷たいんだけど、あの時の愛子に必要だったから無理やり言わせたんです。自分が被虐待児だということを拠り所にして、それを個性にしてしまうことが一番よくないと思っていたので。誰かに「そんなの特別じゃない」と言わせないといけなかった。一方で、結局自分の痛みは他人には分からないんだよ、というアンビバレントなセリフでもありますよね。「アフリカにはご飯を食べられない人がいるんだから残しちゃダメだよ」という説教とかと一緒で。

押見 そこは恋人のような男に言われることで愛子の孤独が際立つというか、自問自答でたどり着くのとまた違いますよね。

ふみ 実は最初、田中を女の子の設定で考えてたんです。同世代のギャルで、売春しまくってて、愛子に斡旋するくらいの。だけど女同士ってきれいなんですよ、どう描いても

押見 ああ、そうですね。

ふみ そこに幻想が生まれちゃうから、愛子に必要なことを言わせるのは、きれいな、かわいい存在じゃダメだなと思ってギリギリで変えました。男に幻想はありませんから。

押見 男の子に救われない感じとか、女の子を拒む感じとか、僕とふみさんの作品の根底には、性的な自分に対しての自己否定感がありますよね。

ふみ 強烈にあると思います(笑)。

押見 自分が抱えている母親との問題が解決したりとかすれば変わるのかな、とか思ったこともあるんですけど。仮に親が死んだとしても、そのまま続いていくのかなと最近は思います。

 

「未来はない」からはじまる

 

――『愛と呪い』二巻の衝撃的なラストは、ある意味でふみさんがこれまで描いてこられた「中二病的自我」の死とも思えるシーンでしたね。

ふみ うんうん、そうですね。自殺しようとする直前の「私は何にも悪くないのに」っていうのは、象徴的な中二病のセリフですよね(笑)。

押見 中二病って、肥大した自意識ですよね。社会から自分が隔絶されているという意識があって、それが反転して、自分以外は全部殺そうとするのが中二病だと思っていて。でも、そういう感情自体は正常な状態だと思うんです。『愛と呪い』を読んでいても、「自分もこんな感じだったな」という瞬間がたくさんあるんですよね。クラスメートを殺す妄想とか、親の枕元でゴルフクラブを振り上げたい欲求とか。もちろん実際に振り上げてはいませんけど(笑)。だから前回ふみさんが浅野いにおさんとの対談の中で、「自分の中の酒鬼薔薇的なものを“殺す”までを描きたい」と仰っていたのが、すごくよく分かるなと思ったんです。

ふみ 愛子は家族を殺して中二病的自我を成就させようとしたんだけど、無理だったんです。普通にもなれなかったし、特別にもなれなかった。それが二巻のラストです。

押見 愛子はこの先、どうなっていくんでしょうね。 

ふみ いやもう、救うために一生懸命描いてるんですけど……気づけば「救いなんてないんだ」という話ですよね(笑)。この「愛と呪い」は一生続いていくぞ、と受け入れるしかない。逆説的ですが、もしも救いがあるとしたら、諦めと慣れしかないのかなと。

押見 よく分かります。僕も普通を諦め、特別も諦めて今があります(笑)。そこに縛られなければ、多少は楽になりますからね。

ふみ 肥大した自意識を小さくして生きていくことが、「酒鬼薔薇的なものを“殺す”」ことに繋がるのでは、と現時点では思っています。

押見 僕、わりとそれが成長だと思ってたんですけどね、諦めたり慣れたりすることが。

ふみ 成長って言っていいんですかね。諦めることで、人間に対して鈍感にならざるをえない感じもあるんですよね。

押見 でも、今までが敏感すぎたから、ちょうどよくなってるという説もありますよね(笑)。

ふみ たしかに(笑)。それに昔は「未来はかならず良くなるもの」って信じてたから、しんどかったんだと思うんですよね。

押見 ふみさんが?

ふみ そうそう。愛子と同じで、「みんなが特別で、将来何にでもなれるよ」っていう個性教育を受けてきたので、「いや特別じゃないし、無理じゃん」っていう絶望が生まれるんだと思うんです。

押見 僕自身は、大学では溶け込めないし、友達できないし、留年するし、お先真っ暗だと思ってましたね。だから未来に期待するとかなかったですね。それは今もあんまり変わらないです。

ふみ そう、未来なんてないじゃんっていうところに立って、諦めがついて、初めてはじまる道があるんじゃないかと思って描いてますね。押見さんは、登場人物を救うことを考えますか?

押見 最終的に何らかの救いというか、生き延びる道は示されて終わるべきだと思っているので、どの作品もその道を探ることがいちばんのテーマになっている気がします。

ふみ 『惡の華』の春日は最後、物語を書きますよね。

押見 そうですね、あれは希望のつもりです。春日という男の子が、仲村さんという女の子の内面を想像して書いたという側面もあって。ちゃんと想像したんだよっていう意味での救いというか。

ふみ 相手の立場を想像できるようになった。

押見 そうですね。人のことを考えられるようになった(笑)。

ふみ 仲村さん、狂ってないですもんね。

押見 狂ってないですね。

ふみ そこが面白いなと思うんですよ。『ハピネス』の吸血鬼になりたい男も狂ってないし、本当は『血の轍』のお母さんも狂ってないじゃないですか。

押見 そうですね。いや、そこを看破していただいて嬉しいです。僕は狂っていると思われている人にも、その人なりの必然性や苦しみがあると思うんですよ。それは他人には分からないことだと思うので、そういう意味で狂っている人は一人もいないんじゃないかと思って描いてるんですけど。

ふみ 人間をよく見ていらっしゃるのかもしれませんね。

押見 でも『血の轍』はどうなるかまだ本当に分からないですね。救いが見つかるかも分からないし、描き終わったら引退するかもしれないとさえ思ってます(笑)。

ふみ そうなんですか?

押見 毎回そういう気持ちではいるんですけど。もうこれ以上描きたいものはないと。『惡の華』の時も全部吐き出して、その時はどこか「治った」感じがするんです。でもしばらく経つと、「なんか違うな」「まだあるな」と思って、また描き出す。『血の轍』は終わってないですけど、最後までいったら虚脱しそうだなという気がします。その描きたいものがなくなっちゃった状態で、また食い扶持を見つけないといけないのかと、すでに怯えてますね。

ふみ また「未来はない」って話になってしまった(笑)。

押見 (笑)。そうやってまた、続いていくのかもしれないですね。

 

2019/01/31 新潮社にて

 

 

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構成/宮川直実

写真撮影/広瀬達郎

 

 

【FUMI FUMIKO】

1982年奈良県生まれ。2006年『ふんだりけったり』で「Kiss」ショートマンガ大賞・佳作を受賞しデビュー。既刊作に『女の穴』、『ぼくらのへんたい』など。『愛と呪い』を「yom yom」で連載するほか、「LINEマンガ」で『qtμt』も連載中(作画担当)

 

【OSHIMI SHUZO】

1981年群馬県生まれ。2002年、ちばてつや賞ヤング部門の優秀新人賞を受賞。翌年、別冊ヤングマガジン掲載の「スーパーフライ」にてデビュー。既刊作に19年秋の映画化を控える『惡の華』、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』、『ハピネス』、『血の轍』などがある。

 

 

『血の轍』 

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(C)押見修造/小学館

『血の轍』第5集

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591円(税別)

 

 

 

 

 

『愛と呪い』

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(C)ふみふみこ/新潮社

『愛と呪い』第2巻

援助交際、キレる17歳――

ゼロ年代の絶対孤独を描く半自伝的クロニクル。

640円(税別)